HOME>世界農業遺産「能登の里山里海」ライブラリー>農林水産業>農業>米づくり 農林水産業>農業米づくり(1)概要及びGIAHS的価値について能登半島に、水田が開かれるようになったのは、弥生時代中期前半頃(紀元前1世紀)である。羽咋市と中能登町に広がる邑知潟など、水利の良い湿地帯などで稲作が盛んに行われてきた。温暖で雨量が多く水が豊富であること、冬期は雪に覆われるため水稲以外の農作物の生産が難しいことから、江戸時代では農作物全体のうち米が8割以上を占めるほどになった。
能登における自然や神仏との関わり、農耕儀礼や地域共同体の運営は、稲作のスケジュールに合わせて行われてきた。輪島市の白米千枚田に代表される棚田や、能登半島に多く分布するため池は、土地や水利を確保するための先達の知恵であり、能登各地に伝わる、田の神をもてなす、収穫と祈念の祭祀である「あえのこと」は、他地域では類をみない能登独自の神事である。
能登は、平野部が少なく丘陵地が海岸まで迫っている地域が多く、農地も狭小であるため、小規模農家が農業を主軸としながら、漁業、林業、杜氏、瓦焼き等の他の生業も兼ねる、半農半漁・半農半X(エックス)という生活が中心であった。また、半島ゆえの地形的な制約と相まって、特に米づくりを中心とした固有の文化や生活様式が守り継がれてきたと考えられる。
(2)背景(経緯〜現状)弥生時代中期前半頃からは、本格的な稲作文化が定着し、集落や人口が増加した。中能登町杉谷チャノバタケ遺跡では、弥生時代中期頃の“オニギリ”に似たもち米の化石が発掘されている。藩政時代までには、ほとんどの農地が造成され、それに合わせてため池や用水路も整備された。
近代から現代にかけての米づくりは、昭和30年頃までは、家畜を使った田起こし作業や人出による田植えや稲刈りにより行われ、肥料も人糞などの有機肥料が使われていた。稲の害虫である泥虫はカゴですくい、虫送りの行事には、松明に火を焚き、虫を集めて駆除していた。子どもからお年寄りまで、毎日、家族総出で、何らかの田んぼ作業に関わっており、農作業で使うミノや竹カゴなどの簡単な道具は、身近な材料を使った手作りがほとんどであった。
図 犂(すき)起しの回想イラスト 図 はざ干しの回想イラスト (薮下益栄氏作)
現在、能登で多く栽培されているのはコシヒカリで、次いで能登ひかりである。コシヒカリ以前は、8月頃に収穫できる品種が主流であった。これには、早場米の方が値段も高く売れることと、出稼ぎにちょうど都合がよかったなどの理由がある。かつては、各農家が自家採種を行っていたが、現在は、品種が混ざることや、収量の低下・特性のバラつきなどの種子の退化を避けるため、「種子更新」が行われている。
現在は、石川県のエコ農業者認定制度が実施されたことが契機となり、慣行栽培と比較して少しでも農薬や化学肥料の使用量を減らす取組が盛んに行われており、循環型農業を目指して、農薬や化学肥料等の使用量を減らし、地域環境への影響を低減させる環境保全型農業の取組が広く展開されている。
こうした地元だけで維持することが困難になった棚田の維持や景観保全のため、「棚田オーナー制度」などの都市住民との交流に積極的に取り組んでいる地区も多い。また、自然栽培米の取組も羽咋市を中心に始まっている。このように能登では、過渡期を経て、生物多様性や里山里海の維持・保全のための新しい米づくりの取組が始まっている。
(3)特徴的な知恵や技術米づくりでは、土づくり、苗づくり、田植え、稲刈り、脱穀、保管に至る一連の過程の中に、多くの知恵や技術がある。収穫や工程が天候に左右されるため、天候を判断する知恵や経験も重要である。また、自給的農家が多いため、土地の有効利用や米づくりの副産物であるわらの利用などは、限られた資源を無駄にせず活用する優れた知恵である。
@事例:はざ干し今でも能登半島の海岸沿いや中山間地では、稲刈りの時期になると、里山の代表的な景観である「はざ干し」の光景を多く見かける。はざ干しとは、木や竹で、高さ3〜5mくらいにまで何段も横棒を組んだ「はざ木」という棚に、刈り取った稲の束をかけ、天日干しする伝統的な乾燥技術である。はざ木には、各家々ではざ木用に育てた木や竹を使用する。地区によっては、高さ10m近くのはざ木を組むところもある。大型機械が入らない棚田や小さな水田では、刈り取った場所ではざ干しをする。
はざ干しは手作業のため、大変手間がかかるが、自然にゆっくり乾燥させるのでとても美味しいと言われている。はざ干し米は、通常のお米よりも高く卸されているものもある。 写真 はざ干しの風景(左:七尾市能登島、右:珠洲市)
A事例:畦の豆植え春の田植えを前に、集落では、どぶさらい、用水管理などの共同作業が行われる。また、水田の区画側面を塗り直す「畦塗り」作業も行われる。能登では、自家製の味噌を作るのが当たり前だったため、土地を有効活用して自家用の大豆を栽培するため、かつては、畔塗りの際、畦に大豆を植えることが多かった。現在は、機械による草刈りが多く、畦の大豆は邪魔になるため少なくなったが、能登町柳田地区などでは、今でもその光景を見ることができる。
B事例:わら細工稲わらは、米づくりの副産物であり、農閑期の冬場、わらを打ち、組んだり編んだりして、米俵、縄、ぞうり、雨具、「つと」と呼ばれる手提げ等、農具や生活に必要な道具を作った。現在は、耐久性のあるナイロンやビニール製品が普及したため、稲わらは水田へすき込むことが多い。 図 わら細工の生活道具(薮下益栄氏製作)
(4)生物多様性との関わり 水田は、ドジョウやオタマジャクシ等の多様な生物が生息する場所ともなっているほか、これらの生物を餌にするため鳥類も多く飛来する。棚田や谷内田は、林や森林と近接しているため、特に両生類やトンボなどの重要な生息場所ともなっている。 戦前の水田は1枚7〜8aと小規模で、用排水路と水田の高低差は少なく、水中の生物は容易に水田と用排水路を行き来することができたが、1960年代の高度経済成長期になると、ほ場整備にあわせて、排水路を水田の面から70cm以上掘り下げたり、暗渠化したため、生物が水田と用排水路を行き来することができなくなった。このため、フナやナマズも水田に産卵することができなくなった。
現在は、より安全で安心な米づくりを目指すため、環境配慮型農業への取組が活発化しているほか、水田の環境が多様な生物の生息環境や生態系の維持機能を担っているという認識も浸透してきている。また、ほ場整備においても、環境に配慮して実施するために、身近な生物や代表的な保全種について、計画から整備の各段階で配慮すべき点を指針としてまとめた「いしかわほ場整備環境配慮指針」も作成されている。
また、化学肥料や農薬の使用を慣行栽培の3割以上低減するエコ農業も取り組まれており、徐々に水田に生物が戻ってきている。他にも、農家自らが少しでも生物が生息しやすい環境を作るよう意識し、渡り鳥の飛来地になるよう冬期も水田に水をはる冬期湛水などが行われている。
@事例:V溝乾田直播通常の田植えは、水をはった水田に苗を植えるが、この農法では、乾いた田にV字の溝を掘り、そこに直接、種を播いていく。通常の水田では、6月頃に一度、水田の水を抜いて田を乾燥させる中干しを行うが、この農法では中干しを行う必要がない。そのため、ゲンゴロウなどの水生生物にとってはよい生息場所ともなる。水がないと生きられない生物もいる一方、中干し後の乾いた状態の水田を好む生物もおり、多様な水田環境が形成されることで、生物多様性の確保にもつながる。
A事例:神子原米急峻な山の斜面に美しい棚田が広がる羽咋市の神子原(みこはら)地区は、美味しい米づくりの条件とされる気温の寒暖差、きれいな水に加えて、風通しがよいという好条件もあり、米作りが盛んである。また、米の美味しさの基準になるタンパク質含有量を人工衛星で測定し、出荷するという、客観的・科学的なアプローチも取り入れている。同地区では、こうした取組により生産された米を「神子原米」として、通常よりも高価格で自主流通させ、農家にこれまで以上の収入をもたらすとともに、限界集落だった同地区の農業人材の呼び戻しにもつなげている。
また、平成22年度からは、自然栽培による米づくりにも取り組んでいる。これは、農薬・化学肥料・除草剤などを一切使わず、土壌に生息する微生物、バクテリア、菌類も含めて維持することで、植物・昆虫等が豊かに生息できる自然環境を保全しながら、米作りを行うという農法であり、マニュアルも発刊されている。 写真 神子原(みこはら)地区の棚田
(5)里山里海との関わり美味しい米ができる条件としては、朝晩の気温の日較差ときれいな水と言われることが多い。中山間地の多い能登では、寒暖差が大きいという気温条件と冬季の積雪によるきれいな雪解け水が、美味しい米づくりにつながっている。
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